倭羊の回し蹴り

この国を憂う。映画・読書ノート、徒然なるままに。

『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム著、山際素男訳

これでもあなたは中国称賛しますか?
中国にあまい夢を見ている愚かな日本人に、ぜひ読んでほしい。あなたの愛する人があなたの目の前で殺されていく危機から目をそむけないでほしい。


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1.おすすめ度 ★★★★★満点

2.本書を読んだ目的

現在、日本を含め世界中に工作員を浸透させ、世界を侵略しようとしている中国共産党が、過去どのようにしてチベットを侵略したのか、またチベット人はどのように中共と戦ったのかを知ることで、迫りくる中共の脅威から日本はどうすれば生き残れるのかを探ろうと思った。

 

3.本の構成

著者マイケル・ダナム著、国際素男訳

出版日2006年3月15日 第1刷発行
    2006年5月11日 第2刷発行

目次
第1章 豹の子
第2章 ラウラ、瞋りの弩弓
第3章 むりやりな併合
第4章 裏切り
第5章 大虐殺と菩提樹
第6章 ゴンポ・タシとCIA
第7章 空から来たチベット人
第8章 毒を食らうもの
第9章 新たな希望と新たな暴虐
第10章 最後の抵抗

概要
1949年毛沢東中華人民共和国の建国を宣言し、翌年、中共軍がチベットに侵攻以後から1974年までの、残虐なチベット破壊行為と、それに必死に抵抗した勇気あるチベット人と、彼らが命をかけて守りぬいたダライ・ラマ法王14世がインドへ亡命するまでの心情・苦悩の記録。
法王がインドや国際社会にチベットが侵略されていく惨状を必死に訴えるも、国際社会は最終的にこれを見捨てていく過程が米国人作家(写真家)マイケル・ダナム氏によって綴られている。

 

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4.感想

一言で、壮絶な内容だった。

中国共産党が牛耳る中国は、1972年の建国前からとんでもない殺戮を近隣諸国へ繰り返しており、その残忍さは本質においてなにひとつ変わっていないのに、経済大国・軍事大国へと成長してしまった。

世界は、この悪魔と手を組むことで経済的利益を得たが、パンドラの箱を野に放ってしまったことをまもなく後悔するだろう。


  1. チベット人ではない著者のもつ視点がおもしろい
    著者マイケル・ダナムはチベット人ではない。米国人である彼は、ダライ・ラマパンチェン・ラマ等の高僧にたいして忌憚のない表現をしている。おもしろかった。

  2. チベット社会や文化の紹介
    本の序盤には、侵略前、チベット社会に営々と流れてきた美しい時間を、その町並みを描写しながら人々の生活文化に触れている。近代化とは程遠い隔絶された中で人々が仏教と僧侶をなによりも大切にし、ダライ・ラマという生き仏を大切に守り生きてきた空間が感じられて感動する。

  3. 中共軍による侵略の残酷さ
    1950年10月、中共軍がとうとう東チベット(カム)に侵攻した。数か月前から越境で軍の体制を整えた後、それは決行された。その前年、毛沢東中華人民共和国の成立を宣言したばかりで、長く続いた内戦もあり、国際社会は中国がまさかチベットに侵攻するとは思っていなかった。
    中国をあなどってはいけない。中華民族以外は夷狄であり、中華がこれを平定してこそ世界平和が達成されるという中華思想は、毛沢東を間断なく突き動かしていた。

    カムにおける中共の暴虐はすさまじかった。
    僧院はことごとく破壊され、6000近くあった僧院は、1960年には370にまで激減した。世界の宝と言われる貴重で膨大な仏典・絵画なども破壊され燃やされた。

    一般人も粛清の嵐にあった。罪人のレッテルをはられたチベット人の妻や娘は、公衆の面前で素っ裸にされ、夫の目の前で強姦された。夫たちは人々の前で妻と性交するよう強制され、その後たいてい処刑された。

    僧侶もこの暴力から逃れることはできなかった。毛布でぐるぐる巻きにされ灯油をかけらえて焼き殺されていった。公開去勢や、バーベキュー用棒杭にくくりつけて焼く。尼僧を素っ裸にしてむりやり性交させた。とくに人気があったのは、・・・中共兵士たちによる集団レイプであった。

    こういう地獄絵図がチベットの至るところで中共軍によって繰り返された。
    読んでいて胸がえぐられるほどつらく切なかった。

    中共はこのチベット侵攻で、約600万人のチベット人の内、100万から150万人を虐殺したと言われている。

  4. 鎖国がつづいたチベットの不幸-国防意識の欠如
    侵略した中共は一番悪い。しかし、世界史を振り返るとそれは侵略の歴史である。魑魅魍魎とした弱肉強食の中、近代化して国防を高める強い意志と行動がなければ侵略されることは時間の問題だったことが当時のチベットの政治家には見えていなかった。チベットは長い間、鎖国をして世界に門戸を閉ざし、世界地図さえ見たこともない人々がたくさんいた。そのレベルだった。

    かつて日本も、世界航海産業革命により巨大な軍事力・経済力をもった欧米文明に植民地にされまいと必死に戦った。西洋に追いつこうと血みどろの明治維新を乗り越え、挙国一致で近代化に成功した過去がある。近代化の過程に反省点はあるが、官民そろった必死な戦いがなければ今ごろ日本はなかったであろう。

    1950年の中共による侵攻直後、ラサの閣僚たちは行事に浮かれていて、チベット人が殺されているにも関わらずそれを世界に向けて発信しようとはしなかった。

    その理由は、
    ①国内が混乱することを恐れたということ、
    ➁中央チベットに害がなければ、東チベットの同胞がどうなろうと構わないという心理が働いたこと、
    ③政府閣僚の臆病さがあったこと、

    が挙げられている。

    チベットは長い間、部族間同士の紛争(殺し合い)が昔から頻発していて強力な中央集権国家を築くことができないでいた。皮肉だが、この中共軍の侵略によって東と中央がはじめて心を一つにして戦うことになった。

    1912年、聡明なダライ・ラマ13世は、軍事費を増やしたり、イギリスに留学生を送る等をして近代化を強く進めたが、増税に反対する寺社勢力の抵抗にあって近代化を断念している。一つにまとまることができないチベットを見て、チベットは内なる敵と外なる敵の両方に攻撃されるだろう」と予言した。40年後、まさにその通りになった。チベットの人々がもっと国防の意識を強くもっていたら。そう思うと悔やまれてならない。

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  5. 中国の微笑外交とチベット内部の媚中派
    中国がいくら侵略上手だとしても、チベットが挙国一致して侵略に抗する体制が出来上がっていれば国を守ることができただろう。過去においてもチベットは、侵略してくる清国やイギリスに一歩も怯まなかった。しかし、今の日本と同じで、中共におもねり、もしくは現実を見ようとしない政治家、官僚、僧侶たちが当時たくさんチベットにいたことは悲劇であった。

    最初の侵入時、共産党チベット人が愛して止まない最高級の中国茶をまず僧侶に大量に贈呈して手なづけ、貧しい人たちにもたくさんの食料や衣服、ドル銀貨等をふんだんにふるまった。酒を飲まず、手荒なふるまいなど一切なく、汚い言葉も使わなかった。「私たちは生活向上のために来たので、2年もしたら中国へ帰るんですから」彼らはこう言ってチベット人を安心させた。

    彼らは常にフレンドリーで微笑をたたえ、村人のご機嫌取りに終始した。地域住民全員に無料の医療サービスを行ったことは、とくに歓迎を受けた(チベットでは独特な婚姻習慣もあり性病が蔓延していた)。

    チベットは国民党によって「赤は反宗教的だ」という宣伝が浸透していたが、毛沢東はこれも見抜いており、まず辺境地域の僧院という僧院に膨大な数の贈り物をして警戒心を解いていった。すぐに人々は共産党に警戒をしなくなった。

    加えて、チベット人の中には共産党と組んでもっと販路を拡大して儲けたいという商人も現れた。僧侶たちの中には僧院と仏教について共産党が口を出しさえしなければ、彼らと共存できると信じたりする者もいた。驚愕するのは、ラサの三大僧院長たちでさえ、毛主席のおかげで享受することになる様々な恩恵を想像して高揚していたのだ。愚かなことだ。

    カム省長のアボ・ジグメ等は典型的な売国政治家だった。随所でダライ・ラマ14世を無視して中共と公的文書を交わし、中共によるチベット破壊を強力に推し進めた役人であるが、このようにある人は恐怖にかられ、ある人は札束になびき、ある人は現実を見たくなくて、目の前に吹き起っている嵐をどうすることもできなかった。
    あのダライ・ラマ(当時19才)でさえ、1954年北京に招かれた時、毛沢東の甘言を信じ込み、なんとか中共と共存できるのではと夢みたりしている記述があり、愕然とした。

    百戦錬磨の毛沢東にとってはチベットなど風に舞う小鳥のようであっただろう。冷酷な殺戮者は実に多くのことを緻密に計算しながら、ダライ・ラマをはじめすべてのチベット人を攻略していった。

  6. 米国のチベット支援(CIA)
    おもしろかったのは、1956年頃からCIAが想像以上に強くチベット抵抗勢力を加勢したということだった。
    迫りくる共産主義勢力の脅威を感じていた米国だが、表立って中国と武力衝突はせずに、CIAを通じて支援をつづけた。チベット国内に食料物質を送るのはもちろんだが、6人の精鋭チベット人を選出して、沖縄・グアム・サイパン等で訓練を受けさせ、近代兵器の使い方、パラシュートの使い方などを教えた。勤勉で素直、そして強靭な身体能力をもつチベット人に感嘆したという。

  7. インド、イギリス、ネパール、米国。そして世界に見捨てられたチベット
    周辺国で、チベットを一番苦しめたのは、インドのネール首相のお花畑思考である。彼は、大戦後のアジア被植民地諸国の大同団結に中国は欠かせない存在と考え、いつまでも中国にあまい夢を見ていた。ダライ・ラマがどれほどチベットの窮状を訴えてもネールは聞く耳をもたず、最後までチベットのために助力をすることはなかった。

    インドの宗主国であったイギリスは、インド撤退後も自国の影響力を残し、中国市場を狙いたいという思いから、なんと国連にも働きかけ小国チベットのSOSを無視した。

    次に、ネパールであるが、1972年、親中派のビレンドラ国王の代になると、国内から亡命チベット人を武力で一掃しはじめる。ネパール国援助の20%は中国が占めており、ネパールはすでに中国の飼い犬となっていた。ダライ・ラマ法王を最後まで守ってきたチベット抵抗勢力もネパール軍の狡猾な戦略にはまり、粉砕されていく。

    なによりチベット人を落胆させたのは、最後までチベットを反共産主義の砦として支援してくれていた米国が手を引いた時だった。1969年、ニクソン大統領が誕生すると、彼とキッシンジャーは広大な中国市場ほしさに中国との国交樹立を電撃的に発表し、チベット支援を打ち切ることを決定した。毛沢東がはっきりと文書で支援の打ち切りを要求したのだ。

    国連は、それまでチベット問題に関して対中非難決議が採択されてきたが(p240)、米国が中国と条約を結んだことで、これも年月が過ぎるとともに静かになっていった。世界機関といえど、国連もしょせんは大国の論理だけで動くだけのものであり、平和メーカーではないことを思い知らされる。

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    チベット国旗

5.最後に

侵略とは、内と外からの要因が相互に絶妙に働いて完結していくのだということをしみじみと考えさせられた。善悪は別として、被侵略側にも落ち度があって(長い鎖国売国奴の暗躍、国防の脆弱等)、侵略は完結していくということ。当然のことだ。

現在、我が日本もまさに侵略される前のチベット同じ状況にある。

日々尖閣の海域を侵犯し覇権主義を拡張してくる中国にたいして何も言えない日本の総理大臣と閣僚。世界が中国市場から撤退しはじめているのに、いまだに中国市場に夢をみている日本の経済界。世界標準装備のスパイ防止法さえない無防備状態、帰化人を含め、恐ろしい勢いで増えつづける在日と不法滞在の中国人と朝鮮人

この国の終末は近いかもしれないと絶望を感じている。

そして、仏教の無力さについてである。
こんなことを言うと、不愉快に思う方がいらっしゃるかもしれないが、わたしはダライ・ラマ14世が、仏教の教えに基づいて、いかに中国人であっても憎んではならない(p234) と説教した点に納得がいかなかった。自分の愛する人を強姦され惨殺されて、なお敵を憎んではならないとする教えは人権違反であり、裏切りであるようにしか思えない。

1956年においてもダライ・ラマ中共に甘い期待をもち、「わたしは暴力をどうしても是認できず、暴力によって我々が幸せになるとは信じられない」(p131) と考え、法王を必死に守ってきた人たちのことを「殺人者」「決して見過ごせない存在」とさえ形容している(p205)。

法王とはいえ、当時若干19才だったのだからと、私は自分に言い聞かせた。しかし、愛国者にたいしてこういう視点をもつ仏教的思考というものにわたしは限界を感じて仕方がなかった。殺人者とは、チベットを侵略した中国共産党のほうであり、毛沢東である。国防に際して戦うことを否定する宗教は、国民を不幸にするとしみじみ思った。

その意味で、わたしはチベットの僧侶が最後に僧服を捨て、大群の中共兵に銃をもって果敢に戦いを挑んでいった「戦う仏教徒としての姿に深く感動したし、日本の仏教徒も国防のために戦う姿勢を否定するべきではないと思った。


この本には、腐った売国奴がわんさか出てくる一方で、最高に胸がすくようなすばらしい愛国者が登場する。名もなき一僧侶が、一農民が、一商人がチベットを守れ、法王を守れ!と天に向かって吠え、必死で戦う姿がたくさん描写されている。

自分ならどう行動するだろう?どの人のように?
武力と戦略の差が天と地ほどある上に、とんでもない邪悪な思想をもった中国共産党という敵にたいして自分はそもそも戦うのか?

憲法改正論議されると決まって国会の前で、「戦争反対。殺すより殺されよう。二度と過ちは犯しません」とプラカードを掲げ、きちがいのように反戦を叫ぶ自虐史層に洗脳された日本の若者たちがいる。

ばかもの。

「戦争反対」とは、日本を侵略せんとする敵国に言う言葉だ。
「二度と過ちは犯しません」とは、二度と負けるような戦い方はしません(今度戦う時は、必ず勝ちます)という誓いだ。

チベットの惨状から学べ、日本人よ。

 

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