倭羊の回し蹴り

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『チベット入門』ペマ・ギャルポ著

「日本の教科書をみると、チベットが独立国であった、という記述がほとんどありません。チベットは昔から一貫して独立国でありました」ペマ・ギャルポ

 

 

1.おすすめ度 ★★★★

2.本書を読んだ目的

『中国はいかにチベットを侵略したか』(マイケル・ダナム著)を読了後、チベットに深く興味をもったので、侵略される前のチベットはどんな国だったのかを知りたいと思った。本書は、チベットの自然・生活習慣・文化以外に、1950年に中共に侵略される以前の歴史についても詳しく書かれてある。

3.本の構成

著 者ペマ・ギャルポ
出版社:株式会社 日中出版

出版日:1987年1月25日 第1印発行
    
目次:
 第1章 チベット紀行
 第2章 チベットとは
 第3章 チベット小史


概要:「チベット紀行」は、チベット旅行記ではなく、1950年以後中国に占領されたチベットが破壊されていく被侵略記が延々と書かれてある。「チベットとは」で自然や生活・文化・政治・経済などに触れ、「チベット小史」では、建国から1950年頃までの清朝や英国に翻弄されながらも強く逞しく生きてきた強国チベットの歴史が書かれてある。

 

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4.感想

本書は、1987年の初版本であり、古い本だ。
しかし、まったく中身に古臭さを感じない良書。翻訳書ではない。日本に帰化されて日本語が流暢なペマ・ギャルポ氏が、日本人の論理思考に通じる言い回しで丁寧に書かれている。

またこの本も戦慄を覚える本であった。
なぜ青年期にこの本を読まなかったのだろうと後悔する。

 

わたしの青年期は、中国が大好きで、一途に中国に夢を見た一人の女子学生だった。中国人になりたいとさえ思っていた。お花畑の青年期だったとつくづく思う。あの時代は日本が中国にたいしてまったく警戒を抱かない、それどころか世界中が中国の広大な市場を求めて中国に接近していた時代だった。


チベットは、私が生まれた頃にはもう中国共産党に侵略され、ダライ・ラマ法王14世はインドに亡命していた。なんて大昔のことなのだろうと思う。食卓で、私の両親の口からチベットを心配する言葉は吐かれたことがなかったと思う。それほど遠い話だったのだろうと思う。

もしもその後、中国がチベット自治区を良好に統治し、チベット人がしあわせに暮らしているのであれば、それはそれで国際社会に評価されるだろうが、その後チベット人が何度も反中国デモを起こし、中共兵によって何百人ものチベット人が殺され、迫害されてきたことを思うと、この侵略は許されるものではないと思う。

1.数字によるチベットの貧困化がよくわかる
本書は、中国はいかにチベットを侵略したか (マイケル・ダナム著)に比べると中共による強姦や虐殺の記述が強烈でなく、古い時代なので、そこらへんは読み手を意識して書かれたのかなと思う。軍事的に征服されていくチベットの描写に加えて、際立ったのは、チベットがなぜ貧しくなっていったのかを経済的に数字を挙げて説明しているところがよかった。

多くのチベット人が飢えに苦しんで死んだが、それは、

 ①大量の中共の駐留部隊の食料供給があったため
 6万ないし7万の人口の首都ラサに、2万数千人の軍人にたいする莫大な食糧供給はチベット人の困窮を招いた。穀物は約10倍に高騰、バターも9倍、一般商品は2倍から3倍値上がりした。単純素朴なチベット経済は、進駐軍が来ただけで破壊されてしまった。

 ➁大量の穀物と銀貨の要求
 中共は、①に加え、チベットに100万ドル相当の穀物と30万ドルの銀貨を要求した。

そして、その後、何十年経ってもチベットが中国全土から比して、教育レベルも、自給率も、生活向上もされなかった理由を、「中共による何年にも渡る徹底的な経済的搾取」を理由にあげている。

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2.チベットが侵略される前の歴史が詳細
 風土・自然の紹介に加えて、やはり楽しかったのは、チベットが侵略される前の歴史が詳しく書かれてある点である。
 チベットの最初の王、ニャティ・ツェンポの時代から始まり、第33代のソンツェン・ガンポ大王の時代(629-664)の時には、インドや唐などの文明国からもろもろの制度をとり入れるばかりか、ブータンビルマトルキスタン、そして唐の西部まで領域を拡大したチベット帝国を築いたという。

 振り返ってみると、チベットは、唐にも英国にも負けない強国であった。
 ある時は婚姻関係を築き唐とも結びつき、モンゴルとはずっと良好な関係で同盟を結んだりしていた。満州人の中国大陸支配の初期までにおいては、チベットは外国から侵略のない平和な時代がつづいたのだ。

 こんな強国だったチベットが仏教の非暴力主義を重んじ過ぎたがゆえ、国を守ることを怠り、結局は中共に支配されることになる。


2.仏教の非暴力に重点を置き過ぎたチベット
 チベットが仏教を取り入れたのは、紀元前233年、第29代のハト・ト・リ・ニャンツェン王の時代と言われる。紀元前に仏教を国教にしながらも、その後もチベットはずっと領土を拡張しつづけ、清国とも対等な力関係でいたにも関わらず、なぜ中国共産党に侵略されるまでに弱体化したのか。

①平和な時代が続き過ぎたこと、
ダライ・ラマ13世が近代化を進めようとした時、既得権益階層がこれに反対して思うように進まなかったこと
鎖国という閉じこもった世界に身を置き、世界から孤立したこと、
が挙げられる。

そして、1950年に被侵略後、チベットをこれほど長い間取り戻すことができなかったのは、
ダライ・ラマ14世の異様なまでの非暴力主義への固執であろう。

暴力をふるったのは侵略してきた中国共産党であり、自国を暴力を用いてでも防衛することは立派な正義があっただろう。なぜそこまで非暴力主義を唱え、抵抗するチベット人に降伏を求めるのか(降伏したチベット人は、自殺者も多かったと聞く。そして、ネパール兵や中国兵に何百人も無残な殺され方をした)が理解不能だった。

かつて強国だったチベットが無残に侵略されていった過程がわかればわかるほど、日本は同じ轍を踏んではいけないと思った。



 

 

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