倭羊の回し蹴り

この国を憂う。映画・読書ノート、徒然なるままに。

メルカリで購入した箱みかんが最高だった!

年末、最高にうれしかったもの!
それはメルカリで買った箱みかん。

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このみかんいくらだったと思いますか?
10kg で、なんと送料込み、税込みで、2000円でした。

よく、安い食料品は添加物や農薬まみれという話を聞きますが、
それは覚悟して買いました。

日頃、添加物には気を付けているので、添加物がどれほど体に毒なのかは承知済みです。今回は確信犯の自己責任ってことで。


しかし、この箱みかんがすばらしく出来がよかった。

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①つぶれてない!
小粒のみかんです。箱の下層みかんを全部チェックしましたが、一個もつぶれていない。つぶれかけもない。ふにゃふにゃもない。

え?っとびっくりした。安いから、三分の二はつぶれてたり腐ってたりしても想定内と思ってたので、ほんとうにうれしかったです。


➁到着が早かった!
これもびっくり。うちは北国なので多少の日数はかかるんです。
それが、頼んだ二日後の朝早くにはもう到着。しかも私が頼んだのは夜だったはず・・・

これを送ってくれた人は、すぐに手配してくれたんだなぁと胸が熱くなりました。
ほんとうにどうもありがとうございました。

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③おいしい!
水分も甘味もそこそこあって、そりゃブランド品には負けるだろうけど、この値段でこのおいしさって最高じゃないの?って喜んだ。

ほんとうに出品してくださった人に感謝したい。


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最後に、メルカリで出品していた方の情報は、

「こい」さん
プロフィールに、兼業農家と書いてあるので、
神奈川でみかんの兼業農家さんなのかな、と想像したり。
身元もきちんと「本人確認済み」の出品者さんでした。


コロナで医者どもが銭ゲバ化して、人の命を軽々しく扱ったり、人々をワクチン漬けにして金儲けのことしか考えない連中がたくさんいる中で、利益をあまり考えない出品者さんに感動した話でした。

こいさん、お気に入りに登録させていただきました。
ありがとうございました。

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『チベット入門』ペマ・ギャルポ著

「日本の教科書をみると、チベットが独立国であった、という記述がほとんどありません。チベットは昔から一貫して独立国でありました」ペマ・ギャルポ

 

 

1.おすすめ度 ★★★★

2.本書を読んだ目的

『中国はいかにチベットを侵略したか』(マイケル・ダナム著)を読了後、チベットに深く興味をもったので、侵略される前のチベットはどんな国だったのかを知りたいと思った。本書は、チベットの自然・生活習慣・文化以外に、1950年に中共に侵略される以前の歴史についても詳しく書かれてある。

3.本の構成

著 者ペマ・ギャルポ
出版社:株式会社 日中出版

出版日:1987年1月25日 第1印発行
    
目次:
 第1章 チベット紀行
 第2章 チベットとは
 第3章 チベット小史


概要:「チベット紀行」は、チベット旅行記ではなく、1950年以後中国に占領されたチベットが破壊されていく被侵略記が延々と書かれてある。「チベットとは」で自然や生活・文化・政治・経済などに触れ、「チベット小史」では、建国から1950年頃までの清朝や英国に翻弄されながらも強く逞しく生きてきた強国チベットの歴史が書かれてある。

 

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https://pixabay.com/ja/



4.感想

本書は、1987年の初版本であり、古い本だ。
しかし、まったく中身に古臭さを感じない良書。翻訳書ではない。日本に帰化されて日本語が流暢なペマ・ギャルポ氏が、日本人の論理思考に通じる言い回しで丁寧に書かれている。

またこの本も戦慄を覚える本であった。
なぜ青年期にこの本を読まなかったのだろうと後悔する。

 

わたしの青年期は、中国が大好きで、一途に中国に夢を見た一人の女子学生だった。中国人になりたいとさえ思っていた。お花畑の青年期だったとつくづく思う。あの時代は日本が中国にたいしてまったく警戒を抱かない、それどころか世界中が中国の広大な市場を求めて中国に接近していた時代だった。


チベットは、私が生まれた頃にはもう中国共産党に侵略され、ダライ・ラマ法王14世はインドに亡命していた。なんて大昔のことなのだろうと思う。食卓で、私の両親の口からチベットを心配する言葉は吐かれたことがなかったと思う。それほど遠い話だったのだろうと思う。

もしもその後、中国がチベット自治区を良好に統治し、チベット人がしあわせに暮らしているのであれば、それはそれで国際社会に評価されるだろうが、その後チベット人が何度も反中国デモを起こし、中共兵によって何百人ものチベット人が殺され、迫害されてきたことを思うと、この侵略は許されるものではないと思う。

1.数字によるチベットの貧困化がよくわかる
本書は、中国はいかにチベットを侵略したか (マイケル・ダナム著)に比べると中共による強姦や虐殺の記述が強烈でなく、古い時代なので、そこらへんは読み手を意識して書かれたのかなと思う。軍事的に征服されていくチベットの描写に加えて、際立ったのは、チベットがなぜ貧しくなっていったのかを経済的に数字を挙げて説明しているところがよかった。

多くのチベット人が飢えに苦しんで死んだが、それは、

 ①大量の中共の駐留部隊の食料供給があったため
 6万ないし7万の人口の首都ラサに、2万数千人の軍人にたいする莫大な食糧供給はチベット人の困窮を招いた。穀物は約10倍に高騰、バターも9倍、一般商品は2倍から3倍値上がりした。単純素朴なチベット経済は、進駐軍が来ただけで破壊されてしまった。

 ➁大量の穀物と銀貨の要求
 中共は、①に加え、チベットに100万ドル相当の穀物と30万ドルの銀貨を要求した。

そして、その後、何十年経ってもチベットが中国全土から比して、教育レベルも、自給率も、生活向上もされなかった理由を、「中共による何年にも渡る徹底的な経済的搾取」を理由にあげている。

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https://pixabay.com/



2.チベットが侵略される前の歴史が詳細
 風土・自然の紹介に加えて、やはり楽しかったのは、チベットが侵略される前の歴史が詳しく書かれてある点である。
 チベットの最初の王、ニャティ・ツェンポの時代から始まり、第33代のソンツェン・ガンポ大王の時代(629-664)の時には、インドや唐などの文明国からもろもろの制度をとり入れるばかりか、ブータンビルマトルキスタン、そして唐の西部まで領域を拡大したチベット帝国を築いたという。

 振り返ってみると、チベットは、唐にも英国にも負けない強国であった。
 ある時は婚姻関係を築き唐とも結びつき、モンゴルとはずっと良好な関係で同盟を結んだりしていた。満州人の中国大陸支配の初期までにおいては、チベットは外国から侵略のない平和な時代がつづいたのだ。

 こんな強国だったチベットが仏教の非暴力主義を重んじ過ぎたがゆえ、国を守ることを怠り、結局は中共に支配されることになる。


2.仏教の非暴力に重点を置き過ぎたチベット
 チベットが仏教を取り入れたのは、紀元前233年、第29代のハト・ト・リ・ニャンツェン王の時代と言われる。紀元前に仏教を国教にしながらも、その後もチベットはずっと領土を拡張しつづけ、清国とも対等な力関係でいたにも関わらず、なぜ中国共産党に侵略されるまでに弱体化したのか。

①平和な時代が続き過ぎたこと、
ダライ・ラマ13世が近代化を進めようとした時、既得権益階層がこれに反対して思うように進まなかったこと
鎖国という閉じこもった世界に身を置き、世界から孤立したこと、
が挙げられる。

そして、1950年に被侵略後、チベットをこれほど長い間取り戻すことができなかったのは、
ダライ・ラマ14世の異様なまでの非暴力主義への固執であろう。

暴力をふるったのは侵略してきた中国共産党であり、自国を暴力を用いてでも防衛することは立派な正義があっただろう。なぜそこまで非暴力主義を唱え、抵抗するチベット人に降伏を求めるのか(降伏したチベット人は、自殺者も多かったと聞く。そして、ネパール兵や中国兵に何百人も無残な殺され方をした)が理解不能だった。

かつて強国だったチベットが無残に侵略されていった過程がわかればわかるほど、日本は同じ轍を踏んではいけないと思った。



 

 

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新ゴーマニズム宣言『靖国論』 小林よしのり著

自民党売国奴の塊だった。
靖国を守るのは、国民しかいない!

 

1.おすすめ度: ★★★★★満点

2.本書を読んだ目的:

2021年年末を迎えて深く考えるようになった。来年の年末、日本は独立国としてまだ健在なのだろうかと疑問に思う。大袈裟化かもしれないが、来年2月にある冬季北京オリンピックが終わると同時に、中国は台湾へ侵攻し、次に尖閣・沖縄が占領される可能性が非常に高くなっている。この日本が中国に侵略される前に、日本人の精神性を語る上で最も大切な靖国と、それに関する問題点を整理したいと思った。

 

3.本の構成

著 者小林よしのり

出版日:2005年8月1日 第1刷発行

出版社:株式会社 幻冬舎
    
目   次
序 章 無知による靖国問題
第1章 国会議員が知らない靖国合祀の真実
第2章 戦後日本人が忘れた靖国問題の真実
第3章 日本人の魂・終戦自決烈士
第4章 始めは「国立墓地」と言っていた!
第5章 「国立追悼施設」は無駄な公共事業だ!
第6章 「靖国参拝違憲」という「傍論」の暴論
第7章 1068人の人身御供を戦勝国に差し出した日本
第8章 カミの国は死者の国でもある
終 章 無宗教の追討の果て


概要
なぜ靖国問題が全国を二分するまでに紛糾してきたのか。わかっているようでわかっていなかった歴史的背景から検証されている。それと同時に、靖国問題の原因となった戦争を裁いた東京裁判にも踏み込んで、その本質に迫っている。日本人が何年経っても忘れてはいけない精神性を見つめなおそうと本書は語る。

 

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靖国神社 無料写真素材


4.感想

読んでよかった。
生来、マンガは嫌いだったが、これはOK。
すっと心に入ってくるすばらしい内容だった。


驚いた。知らないことがたくさん書いてあった。
わたしが見切れなかった部分を小林氏はきちんと見抜いていて、とても感心した。

 

1. 保守だと思っていた自民党は実は売国奴だった
あの頃は、わからなかった。これほど自民党が保守でなくなっていたことが。
学校で左翼教育、家では朝日新聞聖教新聞で育ったわたしの歴史観は、今思っても恥ずかしいぐらいひどいものだったが、一方、保守と名乗る自民党が実はとんでもなく長い間、英霊を侮辱し、日本のあるべき姿を歪めてきたという事実はショックだった。

整理しておく。

靖国騒動の最端緒は、三木元総理だった(以下敬称略)。
1975年、彼が初めて終戦日に参拝したが、その際「内閣総理としてではなく、個人としての参拝である」と左翼メディアに媚びた。その年を境に、数年毎に行われていた天皇靖国御親拝がなくなってしまう。天皇の参拝が個人であるわけがないからである。
    ↓
同年、政府・自民党「政府統一見解」を発表。
戦後のすべての首相公式参拝「実は私的参拝だった」と訂正した。
    ↓
同年、靖国神社は、いわゆるA級戦犯とされた14柱を合祀した。
    ↓
(合祀後も、大平正芳が3回、鈴木善幸が8回、中曽根康弘が9回参拝しているが、中国・韓国はまったく騒いでいない)
    ↓
朝日新聞等の左翼メディアが猛烈な反靖国・参拝反対の大キャンペーンを展開。すると中曽根は、宗教色を排除した参拝にすると媚びを売り出し、「二礼二拍手一礼」の神道の拝礼を「一礼」だけにした。
    ↓
靖国神社が神社への侮辱としてこれに反発する。
自民党公式参拝の実現が第一だと靖国神社を説得する)
    ↓
1985年8月15日、中曽根による一礼だけの公式参拝が行われた。
    ↓
同年8月27日、中国の姚依林副首相が初めて中曽根の公式参拝を非難。
(中国による批判はこの時からはじまった)
    ↓
これ以後、中曽根は公的・私的な参拝を閉じてしまう。
(中曽根の公式参拝の取りやめは、中国の胡耀邦を守るためだったのが本質だが、それは外交上言わず、その代わりに彼が言ったのはA級戦犯が合祀されているため」と答えた。これは保守政治家・言論人をはじめ、遺族の方々の心をひどく痛めつけた。今でも中曽根はA級戦犯と呼びつけ、悪者扱いしている。
    ↓
2001年8月、小泉も終戦日に公式参拝をすると勇んだが、日にちを前倒しにしたり、私的参拝だと言い訳したり、始終コソコソと逃げるように靖国問題に対応しつづけた。
    ↓
それ以後、日本の総理大臣が終戦日に公式参拝を果たした者は一人も現れていない。


2. どこから日本の政治家の腰抜けぶりは来るのか?

ひとえに「勉強不足」からくるのだと著者は言う。
たしかにしっかりと先の大戦と多くの日本人が亡くなった歴史と意義を勉強していれば、左翼メディアや中国・韓国になんと言われようと揺らぐことはなかっただろう。

ただ、政治家だけが日本の政治を作るのではない。
ほとんどの政治家は、おおむね選んでもらう投票者の意向に沿って動く。政治家は国民の鏡なのだ。つまり、マスとしての国民の不勉強と覚悟のなさがああいった情けない政治家を増長していった。我々の勉強が足りなかったと反省する。

本書には、左翼がいかに靖国問題を利用して日本破壊を進めていったのか、戦後GHQに骨の髄まで植え付けられた自虐史観が最大限に利用されたことが克明に検証されている。また仏教やキリスト教など、戦前では「戦争賛成」の大合唱をしていたにも関わらず、戦後は戦争責任を神道になすりつけ、みなで靖国神社を総攻撃していることも呆れる構図であった。もちろん、戦前、神道団体が戦争を焚きつけた事実等、どこにもない。


3.行き過ぎた政教分離の果てにあるもの
本書は、靖国を忌み嫌う左翼の批判をあますことなく拾い上げ、それにひとつひとつ反証していく。その地道な作業がすばらしい。

なぜ、左翼は靖国を忌み嫌うのか?
それは靖国が(それを知る日本人も知らない日本人もすべてにおいて)日本人の精神構造を見事に表している場所だからである。だからこの場所を破壊したいのである。

「日本人は自分の無意識に住む宗教心を、知らない」、わたしはここを読んで、ふっと我にかえった。神道がなぜ日本人にとって宗教じみてこなかったのか。

それは神道が他の一神教と比べて束縛があまりにも少なく、あつくるしさを感じなかったからである。太古の昔から先祖崇拝が基底で、八百万の神を信じ、平和裡に暮らしてきた日本の庶民は、皇族のように大袈裟な行事に振り回されるわけでもなかった。このように、生活に溶け込んだ神道は我々が意識するのに及ばない軽さなのである。それは仏教と比べてもはるかに。

その神道に、厳格な政教分離をあてがい一㍉も抵触するなとする左翼の言い分は、もはや日本人を捨てろとすることに等しい。著者はいう。日本がお手本とした米国の政教分離は、そもそも国家が宗教とともに生きるということを前提としており、その上で「特定の宗派だけを優遇しない」と定めたものである。それは「宗派」なのである。左翼も保守もよく読んで法律の趣旨を知るべきだろう。

では、宗教をとことん消し去った先には何が残るのか?
唯物論共産主義だ。

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4.最大の不幸は何だ?
中曽根、小泉、福田等は自分たちを「保守本流」「愛国者」と自称し、左翼は「極右」「軍国主義者」と思い込んでこれを攻撃してきた。左翼はどうだろう? 真のリベラルは共産主義者の扇動に載せられた狂信的な政治家に存在を消され、社会的弱者はいつの時代になっても救われない状態が続いてきた。左翼も被害者がいるが、安倍憎しで国会での膨大な審議時間を有意義に使おうとしなかった責任は大きい。

しかし、中でも、中曽根、小泉、山崎拓等の似非保守の猿芝居にだまされつづけた日本国民が最大の不幸であり、大切な国益を失ってきたと言っても過言ではない。取り返しのつかない大失態である。

自民党は、「いやあれらは政治的妥協」のたまものであると言うが、妥協を超えて、それは国体破壊に近い大失態を犯したことが彼らの意識には微塵もない。

自民党は保守ではなかったのだと、この本を読んでいてようくわかる。
ただの中国と朝鮮の犬、売国党であった。


5.特攻隊の精神性の高さ
 著者は、「特攻隊の遺書を見るたびに、戦前と戦後の、日本人の精神の断絶を感じてしまう」と言う。そのとおりで、わたしも同じ民族なのだろうかと思うほど、特攻隊の精神性の高さに圧倒される。
父母にたいする謙虚な敬愛、愛する妻と子供への惜しみない愛情、しかしどこかもっと崇高な高嶺をめざしたところを魂が求めているのだ。若干20才前後の若者の時世の書に心が打たれて涙がはらはらとこぼれてしまう。

雷に打たれるほどの、この断絶感はなんだろう。
悔しい。

戦後の日本人は狂ってしまった。
GHQに魂を抜かれ、大量の朝鮮人にあちこちを占領され、教育を奪われ、中国人の恫喝に尻尾を巻いて逃げるのが風物詩になった。いまではだれも驚かない。

なにが和の心だ、おもてなしだ。すべては反日国家のプロパガンダに乗せられ踊らされてきただけではなかったのか。英霊に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。

日本を護ろうとする日本人が少数派になったのだ。


6.終戦自決戦者も靖国に眠る
 靖国には、なんと599柱もの終戦自決者が合祀されている。
 終戦日以後に自決して亡くなられた軍人、兵士等である。終戦以後も戦闘機に乗って敵地へ特攻した若い夫婦もいた。敗戦を知り、世の中がイヤになって自決したのではない。彼らのだれもが死んでしか守れないものがあると信じて、自決したのである。

こういった自決者がいた事実を知らなかった自分は、恥じた。


7. 終戦後の戦勝国による報復。それが東京裁判
 いかに東京裁判国際法に違反した裁判であったかがようくわかる。
 BC級裁判として1061人が処刑されているが、日本人がなぜ参戦したのかを訴えてもも聞いてもらえず、米国の原爆投下と被害について発言しようとすると、米国弁護士は強固に反対して発言を遮った。すべてがこの調子で、日本側の弁護は無視され、裁判は形ばかりのものに終わった。

とくに、中国での処刑は苛烈を極めた日本兵をなるべく痛めつけて殺すことができるように、処刑をより残酷にしたという。終戦で世の中が浮かれている時、人知れず、同胞の日本人はこうして世界各所で合法的に見せしめとして殺されていったのである。

日本人が是非とも知らなければならない事実ではないだろうか。
たしかに負けはした。戦略においてミスはあった。しかし、あの時ご先祖様が必死で戦ってくれていなければ、日本はいまの幸せを築くことはできなかっただろう。


靖国を知る上で最高の良書です。ぜひ読んでください。
何度も読んで、この消えかかっている日本を護ろうという気持ちになってください。

 

 









『中国が隠し続けるチベットの真実』ペマ・ギャルポ著

おそらくこれを読んだら夜うなされるかもしれない。何年にも渡る中国人によるチベット人への容赦なき拷問オンパレード。世界はなぜこの非道に目をそむけ続けてきたのか?!

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1.おすすめ度 ★★★★★満点

2.本書を読んだ目的

マイケル・ダナムの『中国はいかにチベットを侵略したか』を読んで、チベットの被侵略過程に関心をもった。そして、中国がチベットを侵略した本当の理由を知りたいと思った。

3.本の構成

著 者ペマ・ギャルポ

出版日2008年6月1日 第1刷発行

出版社:株式会社 扶桑社

ページ数:207頁
    
目 次
序 章 北京オリンピックチベット騒乱
第1章 チベット問題とはなにか
第2章 ダライ・ラマー転生活仏というシステム
第3章 中国はなぜチベットを欲しがるのか


概 要
2008年8月の北京オリンピックとそれに先立って発生したラサでの暴動。著者はこの暴動の背景を詳細に明らかにすると同時に、そもそもチベット問題とは何かを歴史を振り返り説明する。21世紀になり、チベット問題が風化していく中、そもそもなぜ中国が国際社会を敵に回してもチベットを欲したのかを最終章で理解できる。

 

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        Monika NeumannによるPixabayからの画像 



4.感想

ものすごい本。チベット人がこれでもかこれでもかと中国人に蹂躙される記述があり、非常に重たい本。

①2008年3月のラサ暴動にたいする振り返り

北京オリンピックが2008年8月に行われたが、その5か月前に発生したラサの暴動が詳細に知ることができる。平和的に行われていたデモが血みどろの流血に変わったのは、中国政府のひどい弾圧があったから。

これを読むと、狡猾な中国政府に、またもやチベット人は、罠にはめられた感さえある。

日本では昔から中国政府よりの報道しかなされないのでいつもウソばかり信じ込まされてきたが(もしくは、少数民族が迫害されているだろうが、どれぐらいの深刻さなのかが伝わらなかった)、1950年のチベット侵攻から50年以上経った2008年の段階でもチベット人の圧政にたいする不満はつづいているのだとしみじみ感じる。


➁胸を引き裂くソナム・ドルカの証言

『中国はいかにチベットを侵略したか』(マイケル・ダナム著)も拷問の描写はすごかったが、本書はさらに踏み込んで、中国人のチベット人にたいする生々しい拷問の記述がある。これを読んで、まだ中国称賛している日本人、あほなんですか?ってまじ思う。

チベット人が受けた強姦・拷問・人体実験、避妊手術、殺戮、子供誘拐などの数々の証言はアムネスティ、国連の人権委員会などが収集した報告書から紹介されているので、著者の空想で書かれているわけではない。

めまいと吐き気をもよおす拷問の数々の中で、ソナム・ドルカの証言が一番わたしの涙を誘った。もう耐えきれなくて声を出して泣いたほどである。


簡単に言うと、反共活動をしたという罪でソナム(女性)は逮捕され、数々の拷問・レイプを受けて廃人状態になるのだが、療養で一時帰宅が認められている時、亡命を決意。娘を抱えてインドへ亡命を果たす。

彼女も壮絶な人生なのだが、もっと壮絶だったのは父親であった。父親もさんざん中共に嫌がらせを受け、妻を亡くしたこともあって亡命を決意する。家財すべてを売り払って小金をつくり逃走しようとするが、結局2度の亡命に失敗する。

一回目(1992)は中国の警察に、二回目(1995)はネパールの国境警備隊に捕まって送還されてしまうのだ。ネパールはかんぜんに親中国であるので、チベット人密入国者に容赦はない。

父親は2001年仮釈放されたそうだが、その後、娘と再会することができたのかは定かではない。

どこの国がこれほど苛烈に親子の関係を引き裂くことができるのであろう。

侵略し、殺しまくり、強姦しまくり、ありとあらゆる痛みを与えつづけ、日々の生活においてもがなり立てるように中国文化を押し付け、仕事が終わっても集会に強制参加させてスローガンを唱えさせる。中国人への恐怖と嫌悪感から精神崩壊しないほうが無理だ。


チベットのもつ豊富な地下資源

 なぜ中国がチベットを欲しがるのか。本書のメインはこの部分であろう。それはチベットのもつ豊富な地下資源だ。世界一の埋蔵量の可能性をもつリチウムや、銅、鉛、亜鉛などの大鉱床が立て続けに見つかっている。アムドには天然ガス、油田もある。

また水資源についても、中国は森林を切り開き、チベットに巨大なダムをいくつも造って、莫大な水力エネルギーを得ようとしている。当然だが、建設するのも中国企業、労働者も中国人。チベット人にはなんの恩恵もない。

中国を知ろうとする時、従来の中華思想だけで見ると本質を見誤る。結局、資源飢餓国と言われている中国が自国の民を食べさせていく上で、資源国を襲いその富を収奪しているという構図のほうが理解しやすい。世界史を振り返ると、宗教(思想)による戦争などもしかして一つもなかったのではないか。すべては金のためであり、食べるための戦争であり侵略だったのだろう。


④深刻な環境汚染

中国は、自国にはない豊富な資源をもつチベットを搾取しまくっている。しかし、チベット人にとって山とは神々が宿る聖なる場所であり、中国によるやみくもな資源開発、それによる森林の無計画な伐採や環境破壊は耐えられない所業だろう。

もっとも憂慮するのは、各所につくられた核兵器製造所とそれによる核廃棄物の無造作な投機だチベットの核汚染は深刻だ。周辺に住む村人には何年も前から深刻な健康被害が出ている。

アムドの地域では、

「原因不明の死を遂げる人間や動物の数が増え続けている。1987年以降、死亡した家畜の数は急激に増加しており、魚はほとんどその姿を消した。1989年、1990年に、この地域で原因不明の死を迎えたものは50人に達している。1990年の夏に、12人の女性が出産し、胎児すべてが分娩前、または分娩中に死亡。ある30才の女性は、現在まで7回出産を経験したが、すべて死産に終わった」とある。

恐ろしい実態があるにも関わらず、この時も世界は中国と良好な関係でいたいため、ずっと無関心を装っていたのである。


チベットの山々には核兵器がある


もはやチベットはかつてのチベットではない。神々が宿る山は切り裂かれ、各所に核弾頭ミサイルが配備されるている。アムド北部のツァイダム、テルリンカ、チベット自治区内のナクチュ、コンボなど。ラサにはミサイルの地下格納庫もある。

米軍基地が置かれていて、陸海空を占領されている日本もえらそうなことは言えない。日本は、戦後76年経った今も米国に侵略されているのである。国防を自国ですべて全うできない国など主権国家と言えるのだろうか。チベットの惨状を見ていて、日本はなにも学んでいないと思う。

チベットの山々にある核ミサイルはインドを標的にしているという。そのほか、核弾頭を搭載した爆撃機を出撃することが可能な空軍基地がチベットには造られている。現実の世界は、愛でも思想でもなく、「力」が世界を制している。

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⑥最後に
もっと書きたいことはたくさんあるのだが、冗長的になってしまうので止めておく。
終始、一番感じたのは、ダライ・ラマ法王の情けなさである。

中国共産党の極悪非道は言うまでもないが、それはさておき、チベットが蹂躙されていく様を見ていると、ダライ・ラマ法王の「非暴力主義」が事態の悪化に火を注いでいるのが見てとれる。

ペマ・ギャルポ氏は法王を尊敬するチベット人である故、本書では各所で法王の真意を説明し、必死にかばっているのだが、そもそもダライ・ラマの無策無能が中共チベット侵略を一層進ませ、塗炭の苦しみをチベット人に負わせてきたようにしか思えないのだ。

というか、そもそも宗教的権威に、政治的権力を担わせるな!と言いたい。ダライ・ラマも「政治には自分ではない人が関わったほうがよい」と述べているように、彼には負担が大きかったであろう。弱肉強食の世界にあって、国の先頭に立つ大将が、「戦いません!」と宣言するような国ほど恐ろしいことはないのだから。

その意味で、日本は天皇と政治権力が分かれて国護りしてきたことは幸いであったと思う。先人に感謝したい。


1989年ダライ・ラマノーベル平和賞を受賞しているが、世界を牛耳る悪党どもがノーベル賞でもあげてご機嫌とろう。そして中国に歯向かわないでいてもらおうと示し合わせたとしか思えない。彼もどこかでそんな世界と歩調を合わせてきたのだ。

彼がやってきたことは罪深い。
チベットを蹂躙したのは、中共ダライ・ラマといっても過言ではない(すみませんチベットの皆様、個人的な感想なので怒らないでください)。

法王が、「まぁまぁ、中国と仲良くやっていこうや、暴力はいかんよ」と言っている間に、もう70年以上が経っている。チベットでは中国人のほうが人口が圧倒していて、学校では中国語で授業が行われ、服装も中国化し、チベットの僧院はもちろん通うこともできない。チベット文化も民族も何十年にも渡って消し去られてきたのである。時間がないのである。

著者は、こんな法王にいら立ちを隠せない若いチベット人がたくさん育ってきたという。非常にいいことだと思う。不遜なことを言うが、ダライ・ラマ法王が亡くなった時、はじめてチベット人は民族蜂起をして、民族としての祖国奪還に着手できるのではないだろうか。

忘れてはならない。チベットはその昔、唐や英国を圧倒し、けっして彼らに屈服しなかった強国であったのだ。戦い続けて父祖伝来の土地を守り続けてきたということは恥ずかしいことか?間違っていたことなのだろうか?ダライ・ラマが言うように、悪の所業なのだろうか?

いいえ。国を護るために戦うことは正義なのである。

チベットの失敗から、日本は学ばなければならない。
中国はかならず日本を侵略してくるだろうから。